こんにちは、もっちです。
今回の記事では、学校で教室にいるのがしんどい・入れない状態の生徒さんについて、その背景要因と対応に関することを書いていきたいと思います。
※筆者がこれまで関わってきたお子さんは中学生が中心であったため、今回は中学生を対象として記述しています。
教室にいるのがしんどい・入れない理由 中学生編
不登校の状態や、学校には行くけど教室にいるのがしんどい・入れない状態には、様々な背景要因があります。
その中でも、これまで筆者が関わってきたお子さん(ご家族や学校の先生からの相談も含む)が、どのようなしんどさを抱えて学校や教室に行きにくくなっていたかを紹介します。
- 過度に人の目が気になる、自分がどう見られるか気になる
- グループの輪に入れない、ノリについていけない
- にぎやかな環境が苦手、休み時間の無秩序な感じが苦手
- 勉強についていけない、理解できない
- 暗黙のルールが分からない、周りに合わせて動くのが苦手
- 人との距離を測ること、適度な距離感で関わることが苦手
- 他の人が怒られたり注意されているのを見て自分事のように辛くなる
筆者が関わってきたお子さんの様子を見ていたり、話を聞いたりしていると、上記のような部分でしんどさを抱えていると感じることが少なくありませんでした。
特に、小学校高学年から中学生にかけては、「過度に人の目を気にする」、「人との距離感の難しさ」、「暗黙のルールがわからない」、「学習のつまづき」が多く見受けられるように感じます。
この年齢は思春期に差し掛かり、他者の目に映る自分の姿が重要になってくる時期でもあることにに加え、自己肯定感の低いお子さんは、過剰に他者の目を気にして、自身を過小評価しやすい状態であるように思われます。
「暗黙のルール」は、年齢が上がるにつれて「分かっていることが当たり前」と扱われ、具体的にどうしたら良いかを教われないことや、微妙な変化を読み取って適応していかなければならないことが多々あります。
対人距離の難しさも、時に「暗黙のルール」として微妙な変化を読み取って距離を測ることが前提とされ、それが難しいお子さんには大変しんどいものとなります。
こうした自分自身や周囲の変化、学習内容や学校環境の変化など、多くのことに適応していくことが求められる時期であり、それが非常にしんどいお子さんがいらっしゃいました。
教室に入れない要因 それぞれの詳細と対応について
教室に入れない背景要因について、それぞれどういうことなのかを見ていきましょう。
過度に人の目が気になる、自分がどう見られるかが気になる


うちの子、皆にどう見られるかわからないし怖いから、教室に行きたくないって言うんです
こんなふうにご相談にいらっしゃった親御さんがいます。
一人だけではなく、何人も、同じように仰る方がいらっしゃいました。
親御さんたちは、「誰もそんなに気にしていないよ」と言って気にしないように促されますが、お子さん自身は、自分の外見を気にしていたり、教室に入った時にクラスメイトの視線が自分に向くことが怖いと感じたりしていました。
先程も書きましたが、年齢的に思春期に差し掛かってきて、自分のことが他者の目にどのように映るのか、気になる時期でもあります。
誰しも、ある程度は人目を気にしますが、それが過剰になると、クラスメイトのいる教室へ入ることが難しくなることがあります。
こういうときには、「そんなことを気にする必要はない」と断言してしまうのではなく、お子さんの気持ちに寄り添いながら、人目が気にならないときはどんな時なのか、大丈夫だったときの様子や感覚はどうだったかといったところへ目を向けて、本人のペースで「気にしなくても良いんだ」と思えるようサポートを考えていきます。
しばらく教室に入れない状態や登校できない状態が続いている場合、久しぶりに教室へ入るとクラスメイトの注目を集めるということは実際に起こり得ますので、そういう状況がなかったかを確認したり、対象の生徒さんが教室へ戻る前の雰囲気作りを工夫したりすることも、必要な場合があります。
グループの輪に入れない、ノリについていけない


クラスの輪に馴染めていなかったんですよね。いつも一人でぽつんとしていて…
ある時、学校の先生がそのようにおっしゃいました。
一人で居ること自体が悪いことではないのですが、対象の生徒さんがクラス内で孤立して苦しんでいたのではないかと心配していたとのことでした。
クラスでの様子を詳しく教えてもらうと、休み時間やグループ学習で生徒さんたちがグループになる時に、自分から声をかけて入っていくことができない、皆がワイワイ話をしているそばで、黙ってじっとしているという姿が見られたというのです。
その子はいつしか教室へ入らず保健室へ行くようになり、学校に行くこと自体も難しくなっていき、筆者のもとに繋がれてきました。
筆者が直接関わるようになり、様子を見ていると、1対1ではある程度安心して自分のことを表現してくれましたが、グループ活動になると少し距離を取るようにして、自分の席でじっとしていることが多く見られ、先生が心配されていたのはこういう場面でのことかと分かりました。
他にも、親御さんが「クラスで孤立しているようだ」と心配して相談に来られたケースでは、後に個別相談の時間に、「皆がワハハって楽しそうに盛り上がってるの見てて、ああいうノリにはついていけないなって思ってて…」と話してくれたことがあります。
学校には、色んなタイプのお子さんが集まっています。自分と似ている人もいれば、全く違う人もいます。そして、クラスの中で同じ趣味があるとか、好みが似ているとか、共通点を持つ者同士でグループが形成されることがあります。
本来は、そういったグループに必ず属していなければいけないというものではありませんが、子どもにとっては、自分がどのグループに属しているのか、クラス内でグループに入れるかどうかが重要なこととなることがあります。
そして、「皆と同じ」であることが重要視され、違うものは排除しようとする集団心理が働いたり、グループ内外の関係性が微妙に変化していくこともあります。
大人は、そうした子どもの集団の特徴をよく理解し、クラス内の状況を見ながら、集団のどういうところで子どもが困っているのかを探り、サポートを考える必要があります。
どこかのグループに入れさせて終わりなのではなく、そこで受け入れられ関係を築けているかを確認することも重要です。
もし馴染めず困っているのであればどういうところが馴染めないのかなどを観察したり、話を聞いたりして、教室の中での孤独感を小さくし、安心感を大きくしていく方法を考えていくことが必要になります。
時には、大人が調整役として介入することも必要となりますが、中学生にもなると、自分たちの世界に大人が介入してくること自体が、侵襲的なできごとになることもあるので要注意です。
このような場合には、適度な距離感を保ちつつ、子ども自身が必要と思った時にSOSを出しやすい関係づくりが重要となるでしょう。
にぎやかな環境が苦手、休み時間の無秩序な感じが苦手


休み時間が嫌。皆うるさいし、何してていいか分からないし
あるお子さんは、そんな風に話してくれました。
よほど賑やかなクラスなのかな?と思い話を聞いていたのですが、その子のクラスの先生の話では、それほど大きな声で話したり、音を立てるようなことはないとのことでした。
後に分かったことなのですが、そのお子さんは音に対する過敏さがあり、人が集まってザワザワしている環境は苦手だったのです。
その他にも、先生からの報告で、授業中は気になる様子がないのに、休み時間になるとソワソワして落ち着かない、教室に居づらそうにしている生徒が居るので気になる、というお話を何度か伺ったこともあります。
全員がそういうわけではありませんが、過敏になっていたり、枠組みの曖昧さがしんどい状態だったりする場合、感覚過敏や曖昧さへの脆弱性など、いわゆる発達障害の特性からくるしんどさを抱えている場合があります。
時には、家庭環境が複雑であったり厳しかったりすることから周囲の環境に対し過敏になっていることもあります。
その背景要因に直接アプローチすることは難しい事もありますが、その子が少し避難して心を落ち着けられる場所を作ったり、支援員やスクールカウンセラーなど安心して話せる大人と過ごせる場を作るなどして、その人なりの過ごし方を保証することが、学校での安心に繋がっていきます。
勉強についていけない、理解できない


勉強が全然できなくて、授業がさっぱりわからない

どうも、授業についていけていないみたいなんです
そんな風に打ち明けてくれたお子さんや、親御さんがいらっしゃいました。
学習のつまづきは、子どもにとって非常に大きなショックを与える要素になることがあります。
皆と同じようにやってきたのに、自分だけできていない、分かっていないと感じる状況は、不安や焦りを喚起します。
また、「分からない」状態が続くと、「どれだけやってもダメだ」と自己肯定感が下がったり、無気力に繋がったりもします。
そのような気持ちや状態が、教室にいること自体がしんどくなることに繋がっていきます。
大人から見て、「真面目に学習に取り組まない姿」は、学習のつまづきからくる無気力が隠れていることがあり、単に「不真面目な生徒」と捉えてしまわないよう、注意が必要です。
そういう場合には、一人ひとりの学習の理解度を確認しつつ、必要であれば単元を遡って丁寧に取り組み直すことで、徐々に理解できるようになり、達成感を得て、学習に取り組めるようになることがあります。
しかし、中には学習障害や発達障害の特性から、学習に取り組むこと自体が難しい場合もあります。
例えば、読み書き障害がある場合には、文章を読むことが困難で何を問われているかが分からなかったり、頭では分かっているけれど文字として表出することが難しい可能性があります。
ADHDの場合には集中して話を聞くことが難しく、先生が話し終わった頃には「何を言われていたっけ?」とわからなくなっている可能性があります。
このような場合、診断の有無にこだわるのではなく、特性や傾向をよく理解し、本人の特性に合わせた補助教材や視覚支援の導入、短い言葉にするなど伝え方を工夫するといった対応が考えられるでしょう。
これらはほんの一例ですが、「真面目に取り組みなさい」と注意するだけでは、本人にはどうにもできない場合があることも、理解しておく必要があります。
学習のつまづきがある場合には、どのような背景要因から学習が困難になっているのかをよく確認し、本人に合った学習支援を行い、自信を回復していくことが重要となります。
暗黙のルールが分からない、周りに合わせて動くのが苦手
年齢が上がると、はっきりとした指示が出されず、「皆がやっているのを見て動くこと」や、「暗黙のルール」で動くことが求められるようになります。
これは、学校に限らず、会社や地域社会でもあることです。
マナーやエチケットとして認識されていることも、一種の「暗黙のルール」です。
これらは、誰かが明確に「◯◯しなさい」と言ってくれることがなく、いつの間にかできるようになっていて当たり前という扱いをされています。
筆者の経験では、小学校高学年から中学生で、チャイムが鳴ったら教室を移動することや、「はい、準備して」という先生の声掛けで、教室の後ろにあるロッカーへ必要な教材・道具を取りに行くということが当たり前となっているような状況で、それが難しい生徒さんが何人かいました。
また、先生が教壇に立ってじっとしていると、「静かにしなさいってことだな」と認識してみんながおしゃべりをやめても、一人、なかなかしゃべるのをやめない生徒さんが居ることもありました。
その都度、誰かが「こうするんだよ」と教えてくれるとできるのですが、だんだん、周りも指摘するのが嫌になってきて何も言わなくなっていくことや、何度も指摘されて本人が嫌な思いを募らせて辛くなってくることがあります。
誰にも教えてもらえなくて、どうして良いか分からず動けずに居ると、先生に叱られてしまうこともあります。
こういう経験を積み重ねているうちに、だんだん教室にいることがしんどくなり、教室に入れなくなったり、学校に行くのがしんどくなったりするケースがあります。
背景には、いわゆる空気を読む、察するということの苦手さがあります。
これについても、発達や認知の特性がある場合もありますし、生育環境により学ぶ機会がなかった可能性も考えられます。
この場合、「分かって当たり前」と考えるのではなく、曖昧な指示で済ませず、具体的な指示を出すようにする、生徒同士での声掛けや確認をする習慣を作るなど工夫できることがあります。
具体的な指示は、特定の個人への支援というだけでなく、全体への指示としても生徒にわかりやすく、伝わりやすくなるというメリットがあります。
しかし、高学年や中学生の場合、皆の前で声をかけられることが「恥ずかしい」と感じたり、苦手なことを自覚していて、声をかけられたり、個別に呼び出されることでより強く苦手なことを意識して、傷ついてしまう場合もあります。個別の声掛けを行う場合、本人を傷つけないような配慮も忘れないようにしましょう。
人との距離を測ること、適度な距離感で関わることが苦手
小さい頃は、仲の良い、好きなお友達とべったり、ということも珍しくありません。また性別に関係なく、仲の良い者同士の距離は近い事が多いです。
年齢が上がっていくにつれ、性別の違いやパーソナルスペースが意識されるようになり、相手により心地よいと感じる距離が違ったり、関係性により適切な距離感を測ったりして、徐々に変化していく人間関係に適応していきます。
ところが、中にはそうした変化を感じ取ったり、相手との距離を測って調整することが苦手なお子さんがいます。
自分なりに少しづつ離れてみたり近づいてみたりしながら距離を測ることが難しいため、誰彼構わず急激に距離を縮めていって相手が驚いてしまったり、少し距離を調整しようとする相手の動きに「急に冷たくされた」と感じて傷ついてしまったりすることがあります。
時には鬱陶しがられてしまい、距離を修正する間もなく相手が離れてしまったり、本人が必要以上に傷つき人と関わること自体がしんどく感じるようになったりして、孤立してしまい、教室に居づらくなるケースもあります。
人との距離を測ることが苦手な背景には、自己評価が低く自信がないことや、過去の人間関係のトラウマなど心理的要因や、幼少期の親子関係の不安定さの影響、発達の特性などが考えられます。
人との距離については、心地よい距離が相手や関係性によって異なることもあり、教えることが難しい面もありますが、経験を通して少しづつ認知を修正したり、スキルを身につけたりすることができるものでもあります。
適切な範囲の自己開示、話を聞く姿勢、話し始めるときの声の掛け方や、自分と他者の感じ方の違いなどを学ぶソーシャルスキルトレーニング(SST)や、自分や他者に対する評価・認知の枠組みを変えていく認知療法などを、スクールカウンセラーの関わりの中で取り入れることができるでしょう。
過去のトラウマのケアなど、専門的・治療的な関わりが必要な場合は、医療機関に相談することもできます。
お子さんの様子をよく見て、人との距離を測ることが難しい要因はどういうものであるかを把握し、一人ひとりのペースに合った方法で焦らずに取り組むことができるとよいでしょう。
他の人が怒られたり注意されたりしているのを見て自分事のように辛くなる
共感性が高く繊細なお子さんは、他の人が先生に怒られたり、注意されている場面を見て、まるで自分が怒られたりしているように感じることがあります。
そのため教室が居心地悪く感じたり、居場所に感じられなくなることがあります。
筆者が関わってきた中学生の中にも、誰かが怒られている場面を見て、自分に言われているわけではないと頭では分かっていても、まるで自分事のように感じられ、辛くなってしまって教室に居られないという生徒さんが何人かいました。
最近では、「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」、「繊細さん」という言葉が広く認知されるようになりました。これは正式な診断名ではありませんが、概念として広く使われるようになっています。
このような人たちは、他者の感情、怒りや緊張を自分のもののように体験する脳細胞の働きが活発であったり、相手の声のトーンや場の雰囲気などの刺激に対して敏感でそれをスルーできないという特性を持っていたりします。
周囲がそのような特性を理解することも大切ですが、それと同じように、本人が自分の特性を理解し、自分が悪いと責めなくて良いと感じられることも大切です。
その上でできる対応としては、以下のことが考えられます。
- 一人の時間を作ったり、気持ちを言語化したりすることで気持ちを落ち着ける
- ノイズキャンセリングイヤホンやサングラスなどを活用し物理的な刺激を減らす
- 他者と自分の境界を意識し、自分のこととは切り離す(認知の枠組みの修正) など
物理的な刺激を減らすために何らかの道具を使用する場合、それによって周囲の生徒の関心をひく事も考えられますので、何故それが必要なのかを説明し理解を得ることも必要になるでしょう。
共感性が高いことは、決して悪いことではありませんが、過度な共感は心身の疲労に繋がることがあります。
こうした特性を理解し、本人に合ったやり方で上手く付き合っていく方法が見つけられるよう、サポートすることが重要となります。
番外編・周りより勉強が進んでいて授業が面白く感じない場合も
学習のつまづきとは反対に、塾や自主学習で授業よりも早く学習を進めていて、授業が面白く感じないという生徒さんも、時々います。
家庭の教育方針や、本人の興味関心により、教室での授業の進度と個人の学習進度が噛み合っていない状態です。
このような場合、個人の学習進度を学校でコントロールすることはできませんが、授業の中で、グループでの調べ学習、実験・実習などの体験型学習を取り入れることで、クラスメイトと一緒に取り組める可能性があります。
筆者に、「授業が遅くてつまらない」と話してくれた生徒さんは、理科で実験がある日や、家庭科の調理実習の日はクラスに入って、友達と一緒に取り組んだことを話してくれたことがあります。
授業の進め方については指導要領や授業計画があり、すべての生徒の学習進度にピッタリ合うやり方はないと思いますが、時にはこのような噛み合わなさを感じている生徒もいるかも知れないと意識し、学習方法や発表方法を工夫してみるのも、有効かもしれません。
ゴールは「教室に入ること」だけではない
学校で、教室に入れない状態の生徒さんがいると、「このままで良いのだろうか。教室に入れるようになってほしい」と思われる先生、親御さんは少なくありません。
本人も「このままで良い」と割り切っているわけではなく、「どうして自分は教室に行けないのか」と自分を責めていたり、「どうすれば良いのか」と葛藤していたりすることは珍しくありません。
教室に入らないということは、そこで経験できる様々な機会を失うことに繋がるので、心配になったり、「教室に入ってほしい」と思うことはおかしなことではないと思います。
しかし、『教室に入ること』が絶対的なゴールであるとは、筆者は考えていません。
「何故、教室に入ってほしいのか」を改めて考えてみてください。
なんとかして教室にいることができたとしても、それがお子さんにとって苦痛で、我慢に我慢を重ねている時間にしかならなかったとしたら、どうでしょうか。
授業での学び、友達との関係、集団での生活、これらを経験し学ぶ以前に、「教室にいることに耐える」ことしかできなくなったとしたら・・・。
これは決して、先生も親御さんも望んでおられることではないでしょう。
このように考えてみると、ゴールは「教室に入ること」だけではないということを理解していただけるのではないでしょうか。
以前、「居場所」についての記事の中で、様々な居場所の在り方について、文部科学省とこども家庭庁が指針を出したことに触れました。
この指針は、単に安心できる場所の確保ということだけではなく、子どもの学ぶ権利、様々な経験の場をいかに保証するかということについての骨組みでもあります。
学校には学校の、教室には教室の枠組みがあります。学校・教室という場所での学びや経験の保証と同じように、何らかの理由でその枠組の中で過ごすことが難しい場合は代替方法を用いて子どもの権利を守ろうという考え方も広まってきています。
教室でしか経験できないこともありますが、それに代わる経験の場をどのように作り出していくかという観点で家庭と学校が協力し、場合によっては地域にある資源を活用していくことで、子どもの権利を守ることができるのではないでしょうか。
それを支える存在として、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーが居るのだと考えています。
まずはお子さんの様子をよく見て、どういった点が教室に入ることを難しくしているのかを把握し、本人のペースに合わせながらサポートを試み、それでも教室へ入ることが難しい場合には、柔軟に代替方法を探ってみるのも、一つの方法と言えるでしょう。
その時には、親御さんや先生が一人で抱え込むのではなく、スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラーとも連携し、様々な選択肢を挙げて考えてみてくださいね。
今回の記事内容は一部の例ではありますが、教室に入れない状態の生徒さんと関わる先生や親御さん、また生徒さんご本人にとって安心できる場づくり、関係づくりにお役に立てば幸いです。

今後の投稿でも、知っていてもらえると良いなと思う心理学の知識をお届けします。



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