こんにちは、もっちです。
今回は、「やりたいこと」をすることと、「わがまま」ということについて考えたいと思います。
というのも、これまでお会いしてきた方、カウンセリングに来られた方の中に、「自分がやりたいことをするなんてただのわがまま」、「こんなわがままな自分はいけないんだ」と捉えている方が少なくないと感じたからです。
本当に、「自分がやりたいことをする」=「わがまま」なのでしょうか?
そのように強く考える背景にはどういった事情があるのかということを考えたいと思います。
「やりたいこと」をしている=「わがまま」という図式
ある日、クライエントさんが、「私って本当にわがままで、このままじゃダメだと思うんです」と話されました。
それを聞いた筆者は、思わず「え!?」と声をだしてしまいました。
なぜなら、その方は自分のやりたいことを我慢して周囲に合わせていたり、言いたいことを飲み込んできたりしていたエピソードを伺っていたため、「わがまま」というイメージがまったくなかったからです。
「どういうことなんですかね?」と尋ねてみると、「働いていないでしょ。仕事せずに、ぼーっとしていたり、買い物に行ったり、自分のことしかしてないですよね」と話してくださいました。
筆者はまだ、頭の中が?でいっぱいでした。
たしかにその方は休職中でしたが、仕事をサボっているわけではなく、仕事ができる状態ではないから休んでおられるわけです。
ぼーっとするのは、心身をリラックスさせたり、無理をして負荷を掛けすぎないためにも必要な時間のように思います。
買い物も、家族のために夕飯の食材や日用品を買いに行かれているのです。
どうしてそれがわがままなのでしょうか。その疑問を率直にぶつけてみたところ、
「だって、仕事もしないで好きな時間に、好き勝手に行動してるじゃないですか」
そう返ってきました。
この方の場合、仕事をしていない自分がやっていることは「好き勝手な行動」となっていたのです。
とても驚いて印象が強かった例を取り上げましたが、この方の他にも、「するべきことができていないのに、自分の好きなことばかりしているからダメだ」という捉え方をされている方は多くいらっしゃいました。
様々な事情で心理的に落ち込んだり、不調をきたしたりされている場合、負荷を減らすため、また回復の過程で徐々に行動を広げていくために、「興味・関心のあることから」やってみる、「好きなことから」やってみる、ということを試みる事が多いのではないでしょうか。
しかし、そうした段階において、「自分のやりたいことだけをやっているのはいけない」、「それは単なるわがままだ」と捉える人が、少なからずいるのです。
この背景には、筆者が出会ってきた方たちの多くの場合、子供の頃からそのように言われてきていたり、身近な人に現状を「わがままだ」と言われていたりすることがあります。
調子を崩して、今はそれしかできない状態だとしても、理解してもらえず「甘えるな」、「わがままを言うな」と言われているとお聞きすることもあります。
そして、本当にその人がやりたいことなのかどうかを抜きにして、できる範囲のことをやるということが、「やりたいことだけしている」という風に捉えられていることが多いと感じます。
「わがまま」ってどういうこと?
こうしたお話しを伺っていると、その文脈では「わがまま」という言葉はどういう意味なのだろうかと、疑問に思うことがあります。
辞書的には、「わがまま」とは、以下のように定義されています。
相手・まわりの者の意に反して、無理な事でも自分がしたいままにすること。したいほうだい。(Oxford Languages)
①自分をえらく思い、他を軽んじること。 高慢。 ②我意を張り、他に従わぬこと。(広辞苑)
これまでお話しを伺ってきた中で、「わがまま」と口にされる時、「相手・まわりの者の意に反して」いる、「他を軽んじ」ているというニュアンスが強くあるように感じます。
このニュアンスが強い場合、「自分がやりたいことをしている」、「自分のことだけ尊重して、やりたいほうだいしている」ということではなく、『他者の意に反しているようだ』、『他者を軽んじていると思われている』ということがクローズアップされ、今の状態が『いけないこと』のように語られるのではないでしょうか。
このように考えると、生育歴や生活の様子をお聞きして、「本来の自分のやりたいことを後回しにしておられるなあ」と感じる方でも、ご自身では「わがままだ」と評しておられることに、いくぶん、納得できるところがあります。
それは、ご自身の感情や感覚ではなく、他者がどう感じるか、どう評価するかのほうが優先されているという点では、それまでのその人のあり方と一致すると感じるからです。
本当はやりたいことをしていないのに…自分を「わがまま」と捉えやすい人の特徴は?
社会生活を営むうえで、他者との関係は切っても切れないものであります。
ある程度は相手に合わせたり、自分の思いを抑えたりしながらバランスを取っている部分は、誰にでもあると思います。
時に、自分の思いを優先し他者の言葉に耳を傾けない、自分の非を認めず他責的、他の人の立場や視点を想像できない、協調性がない、といった特徴を持ち合わせていて、周囲から「わがままな人」と捉えられている人もいるでしょう。
自分でそれを認めて開き直れる人もいれば、なんとかしたいと思いながらどうにもできず葛藤している人もいると思います。
そしてそのような行動・認知の特徴が形成されていく背景は様々です。
ただ、カウンセリングでお話しを伺っていると、決して「わがまま」とは思えない人が、自分自身を「わがまま」だと捉えていることが多いと感じます。
カウンセリングを受けて現状をなんとかしたいと思っておられることから、その状態を良しとせず、強い葛藤を抱えておられることが伺えます。
そのような方たちと出会っていると、以下のような共通点があると感じるようになりました。
| 他者にどう思われるかを過剰に気にする傾向 |
| 自分自身の言動が、他者の目にどう映るか、どう思われるかを過剰に気にして、相手の基準に合わせようとする傾向が強いと感じます。
相手を不快にさせてはいけない、嫌われてはいけない、怒らせてはいけない、など、相手の反応を常に気にしていて、「自分はどうか」よりも、「相手(周囲の人)にとってどうか」ということを優先して考えておられることが多いです。 |
| 「こうあるべき」という思いが強い |
| 規範意識が強く、時に「こうすべき」、「こうあるべき」が強くなりすぎることがあります。
その規範から外れることはあってはならないことで、自分がどうしたいのかという思いよりも、「あるべき姿」を優先する傾向が強いと感じます。 |
| 自分が我慢することで場を収めようとする |
| 争い事が苦手で、他者と意見がぶつかったり、喧嘩をするくらいなら自分が我慢すれば良いと考えがちな方が少なくないです。
ご自身が争うようなことが苦手だということの他に、他者を傷つけたくない、嫌な思いをさせたくないという優しさから、自分が我慢することを選ぶ事もあります。 このような我慢ができなかった(と本人が感じる)時に、「自分はわがままだ」と強く意識されているように感じられます。 |
ご本人の生活の様子や生育歴を語ってもらう中で、親子関係・家族関係、友人関係、地域の特性など様々な事情から上記のような傾向が強くなっていったことが伺えます。
いずれにしても、自分自身の感覚、「やりたいことかどうか」よりも、他者の思いや社会的規範など外的なことが優先されている状態であると感じます。
自分の「やりたいこと」をするのは「わがまま」なのか 結論
筆者のもとにカウンセリング・相談に来られる方との関わりの中で、筆者が感じてきたことを描いてきましたが、果たして自分の「やりたいこと」をするのは、彼ら・彼女らの言うように「わがまま」なのでしょうか。
筆者は決してそうではないと考えます。
もう少し言葉にすると、「相手やまわりの者の意に反するから即ち『わがまま』だとは言えない」と考えています。
自分が感じていること、やりたいと思うことは、必ずしも他者の思いと一致するわけではありませんし、規範意識にしても、「こうあるべき」と考える姿や言動は人によって異なることもあります。
相手の考えと自分の考えが違った場合、すぐに自分のほうがわがままで間違っていると考える必要はないと思います。
互いに思いや意見を出し合い、すり合わせることもできます。多少我慢する部分があるとしても一方的に抑え込むものではないと考えます。
この、意見の出し合いやすり合わせの際に、衝突したり葛藤が生じたりすることはたしかにありますし、できれば避けたいと考えることも悪いことではありません。
ただ、それを避けてばかりいると、自分が我慢することが当たり前になり、自分の感覚や感情、思いを置き去りにしてしまうことにもなります。それは自分を傷つけることにもなります。
折り合いをつけるとは、ただ我慢すれば良いというものではないのです。
一般論として、「自分がやりたいことをする」ということは単なるわがままではないでしょう。
しかし、先程述べたように、様々な背景から思考や認知の癖が強く現れてくると、「すべきことから逃げている(他者からよく思われていないであろう)自分はわがままだ」と捉えることに繋がっているように感じられます。
本当は自分がやりたいことをやりたいようにできない状態であるにも関わらず、です。
幼少期から形成されてきた思考や認知の特性は、簡単には変えられないものです。
しかし、現在の経験は変えていくことが可能です。
身近な人が、回復の過程として「好きなことから」、「興味・関心のあることから」やっていくという段階にあることを理解し、「単なるわがままだ」と断じてしまわないことが大事だと思います。
また、「これが好きだ」という感覚や、「興味・関心がある」ということは、その人の内発的動機づけとして、「何かをやってみる」という行動を起こさせ、維持させるものにもなり得ます。
本来のその人の感覚を取り戻していくためにも非常に大切なことであることを、ご本人にも、周囲の方にも知っていてほしいと思います。
今後の投稿でも、知っていてもらえると良いなと思う心理学の知識をお届けします。



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